理解

おはようございます。

お久しぶりです。

「脳卒中後遺症・関節痛専門サロン ひなた」の

代表 「當眞 向日葵(とうま ひなた)」です。


しばらくブログの更新を怠けておりました(-_-;)

まだ、怠け中ですが、単発的にアップしていきます。


最近、お客様の数も増えてきており、感謝です。


さて、本日のテーマは「理解」です。

「理解」とは

そもそも「理解」とは物事や学問に対するものにも使われますが、今回は人間関係について考えてみたいです。

相手を「理解」する、「分かる」「知る」など同義語的な表現がありますが、

その使い分けとして、


1 「理解」「分かる」は、物事の内容を筋道立てて論理的にのみこむことをいうが、

  「知る」は、物事の全体を感覚的にとらえる場合に用いることが多い。


2 「理解」「分かる」は、正しく判断するだけでなく、相手の気持ちなどを察して意に添うようにする場合にも使う。


※goo辞書より引用


人間関係の「理解」はどちらかというと 2番の印象かなあ…


でも、どんなに相手を「理解」しようとしていても、

「無理して」合わせたり、ストレスが溜まったりすることもありますよね~…


最近、プライベートでの関りや、友人の相談などを聞いていて、ひとつ気付いたんです。

どんなに表面上で「正論」や「きれいごと」を並べていたって、


どちらとも、お互いに


自分の「思い通り」にことを運びたかったり、自分の「思い通り」に人を動かしたかったり、動いてもらいたいっていう、


根本は結局、エゴの押し付け合いなんだなあ…って感じました。

「正論」や「きれいごと」は単なる手段だし、自分自身を美化する道具でしかないのかなあ…って。


私はそれを当然のことのように思って生きてきたし、

だけど、だからこそ「そうでなければならない」みたいな美化した自分像を勝手に作り出し、

相手にもその「そうでなければならない」を押し付けて、勝手に苦しんでいたんだなあと思いました。


ですが、それに気付いてからは、「人間はそんな生き物なんだなあ」と捉えられるようになってきていて、少し生きるのが楽になってきました(笑)


私は「脳梗塞や脳出血による片麻痺・歩行障害」などの御病気を抱えた方を

対象にお仕事をさせて頂いていますが、どこか私の「こうでなければ」を押し付けていなかったかと自問自答しています。


もしかしたら、頑張りすぎて、こころが折れそうになっていて、安らぎを求めに当院を利用されている方もいらっしゃるかも知れない…


今後はそんな風に、相手の立場に立って、「理解」していけたらなあと思う、この頃です。


久しぶりの、「ぼやき日記」でした~。




脳卒中後遺症・関節痛専門サロン ひなた

はじめまして。沖縄県西原町にて脳卒中後遺症による片麻痺、膝や腰などの関節痛を専門とする施術を提供しているサロン「ひなた」です。 動きやすい身体をリカバリー(取り戻す)するお手伝いをさせて下さい。

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